トヨタスパーキーに搭載されたエンジンは、ダイハツ製の1.3リッター直列4気筒DOHCで、可変バルブタイミング機構「VVT-i」を採用していました。最高出力は90PSを発揮し、軽量なボディとの組み合わせでキビキビとした走りが実現されていました。駆動方式にはFRとフルタイム4WDが選択可能で、トランスミッションは4速ATに加えて5速MTが用意されました。新車購入時に自分の走行環境に合わせて選択できる柔軟性がありました。
2WD車は「超-低排出ガス車」、4WD車は「優-低排出ガス車」の認定を獲得しており、当時のコンパクトカー基準でも環境性能が配慮されていました。このバランスの取れたパワートレインは、アトレー7という商用車ベースの設計を乗用車的に洗練させた結果です。
トヨタスパーキーの最大の特徴は、2+3+2の3列シート配置により、わずか3765mmのボディに7人の乗員を収容できる点です。セカンドシートは480mmのロングスライド機構を備え、第3列への乗降性を高めるとともに、シートアレンジの自由度を大幅に確保していました。
サードシートは床下への完全格納「ハイダウェイ機構」を採用し、荷物スペースが必要な場合にはフラットフロアを実現できました。室内長は2585mmという広さを確保し、コンパクトカーとは思えない積載性を備えていました。この工夫により、7人乗りとしての機能性と、荷物運搬車としての多用途性を両立させることに成功したのです。
新車購入時点でのトヨタスパーキーには、当時としては高水準の安全装備が標準装備されていました。デュアルエアバッグ、ブレーキアシスト、EBD(電子制動力配分制御)付ABS、プリテンショナー&フォースリミッター付きシートベルトなど、多くの保護機構が搭載されていました。
内装では、黒木目調パネルや専用シート表皮が採用され、軽自動車ベースながらも上質感を演出する工夫がされていました。グレード設定では「X」と「G」の2種類が基本で、さらにスポーティなロールーフ仕様の「Sパッケージ」やコストパフォーマンスを重視した「Jパッケージ」も用意されました。前席の質感にこだわりを見せることで、ファミリーカーとしての信頼感を構築していました。
トヨタスパーキーは2000年9月の登場から、わずか3年後の2003年8月に生産終了となりました。その原因は、軽自動車ベースの限界にあります。全幅1515mmという狭さは、居住性の制約となり、居心地の良さで劣る要因となってしまいました。さらに軽商用車的なシート構造による乗り心地の硬さも、ユーザーから不満として挙がっていたとされています。
2002年にはロールーフ仕様の追加や2列目の乗降性改善が図られましたが、状況は好転しませんでした。同時期にはホンダ「モビリオ」やマツダ「プレマシー」など、乗用車ベースでより広い全幅を持つコンパクトミニバンが相次いで登場していました。これらの競合モデルは、スパーキーの弱点を補うようなスペック設定となっており、市場では高い評価を得ていました。
実はスパーキーの市場苦戦は、商品コンセプトが間違っていたのではなく、むしろ価格戦略とOEMの販売限界が大きな要因と考えられます。ダイハツとの直接的な競合を避けるために、本来のアトレー7よりも装備を充実させ、価格を約10万円上げるという戦略が採られました。その結果、ユーザーはスパーキーよりも割安感のあるアトレー7に流れてしまったのです。
参考資料:トヨタスパーキーの歴史と市場での位置づけについて
トヨタ・スパーキー - Wikipedia
トヨタスパーキーは、短命に終わったものの、その後のコンパクトミニバン市場に大きな影響を与えました。初代シエンタ(全長4260mm、全幅1695mm)は、スパーキーの弱点を払拭するために設計され、乗用車ベースの1.5リッターエンジンと広い全幅により、大ヒットを記録しました。
スパーキーの挑戦は失敗ではなく、むしろコンパクトな3列ミニバンの可能性を提示した先進的な存在であったと評価できます。パッケージングの工夫や多彩なユースケースへの対応力、工夫を凝らした設計は、その後のシエンタやホンダ「フリード」といった成功モデルの開発に大きな影響を与えたのです。
新車時代のスパーキーは、価格の手頃さと多用途性という点で、限られた予算の中で最大の価値を求めるユーザーにとって、理想的な選択肢となっていました。今日のコンパクトカーやミニバン選びにおいても、この時代の工夫と失敗から学ぶことは多いでしょう。軽自動車ベースながらも工夫を凝らした設計は、今日のダウンサイジング技術の先駆けとも言える存在です。

トヨタ スパーキー (UA-S221E 平成14年6月~平成15年8月 -) 新車装着バッテリー(38B20L)互換品 ECO.R EC EC40B19L