インドの自動車産業が今日の発展を遂げた背景には、1980年代初頭のインド政府による「国民車構想」がありました。当時インド自動車市場は、年間3万台弱の小規模市場で、ヒンドゥスタン・アンバサダーとフィアットの2社のみが存在していました。1970年代、インドでは技術が陳腐化した高額な自動車ばかりが製造されており、一般国民にとって自動車所有は遠い夢でした。
インディラ・ガンディー首相の次男サンジャイ・ガンディーが、すべてのインド国民が手頃な価格で購入できる国民車の実現を夢見て、1971年6月に「マルチ・リミテッド」を設立しました。しかし1980年6月、サンジャイ・ガンディーは自身が操縦する飛行機の事故で急逝してしまい、その夢は一度断たれます。1981年2月、インド政府は事業を引き継ぎ、国営企業「マルチ・ウドヨグ」を設立。国民車構想の合弁相手を求めて、日本の自動車メーカーに打診をしました。
当時の日本の自動車メーカーの海外進出は米国中心でしたが、唯一インド事業に真摯に対応したのが鈴木自動車工業(現スズキ)でした。鈴木修会長兼社長は1982年3月の交渉の際、日本の自動車メーカーの中で最初から最後まで対応した唯一の経営者として、インド市場への可能性を確信していました。1982年10月、両社の契約が締結され、当時は失敗による経営危機も危惧されるほどの大胆な決断となりました。
スズキは当初、年間3万台の市場規模に対して10万台の生産能力を持つ工場建設を提案しました。周囲から「なぜ3万台しかない市場に10万台規模の投資をするのか」と疑問視されましたが、スズキの創業者は「インドでトップになる」と宣言し、その確信に基づいた投資を実行したのです。
1983年12月14日、スズキ・マルチ・ウドヨグ社で生産された第一号車「マルチ・800」がラインオフされました。この車は日本の軽自動車スズキ・アルトを基にした800cc車で、その手頃な価格と優れた燃費性能で、インド市場に一石を投じることになりました。マルチ・800は低価格という特性により爆発的な人気を博し、1980年代のインド国内小型車市場で寡占状態を確立しました。
生産開始からわずか数年で、マルチ・ウドヨグはインド四輪車市場でトップシェアを獲得しました。1992年にはスズキの出資比率が26%から50%へ拡大され、スズキの影響力がさらに強まりました。2000年代に入ると、インド国民の平均所得が向上し、自動車への需要が大幅に増加。同時にマルチ・スズキはアルトの欧州への輸出も開始し、インド国内のみならずグローバルな生産基地としての地位を確立していきました。
2002年5月、スズキは出資比率を過半数の54%へ引き上げてマルチ・ウドヨグを子会社化。2006年12月には、インド政府が保有するすべての株式が売却され、マルチ・ウドヨグは完全民営化されました。2007年9月には社名が「マルチ・スズキ・インディア・リミテッド」に変更されました。
翌2008年には、スズキのインドでの新車販売台数が初めて日本国内を上回るという歴史的な転換点を迎えます。インドでの新車販売台数は前年度比12%増の71万1818台に達し、日本での販売台数約66万7000台を上回りました。この時点から、インドはスズキにとって日本以上に重要な市場となったのです。
マルチ・スズキの成長に伴い、インド国内の生産拠点も段階的に拡大されてきました。初期段階ではハリヤーナー州グルガーオンの単一工場から操業が開始されましたが、需要増加に対応するため、1990年代から生産体制の充実が進められました。
2000年代には、同じハリヤーナー州マーネーサルに第二工場が建設され、生産能力の大幅な拡張が実現しました。2014年1月には、スズキが新たにグジャラート州アフマダーバードに「スズキ・モーター・グジャラート」を設立することを発表。これにより、スズキ自身が全額出資する独立した生産子会社がインド国内に誕生しました。同社設立の狙いは、マルチ・スズキの設備投資負担の軽減および工場運営への関与の強化にありました。
現在、スズキはインドに複数の生産拠点を保有しています。
2025年2月25日、スズキはハリヤーナー州カルコダに新設した工場で生産を開始しました。カルコダ工場では初年度にコンパクトSUV「ブレッツァ」を年間25万台生産する計画です。このカルコダ工場の稼働により、スズキのインド国内生産能力は260万台に拡大されました。
マルチ・スズキが南アジアで最大規模の自動車メーカーとなった背景には、スズキの経営哲学と現地化戦略にあります。スズキは日本で得意とする小型車・軽自動車技術をインド市場に最適化し、現地の顧客ニーズに完璧に適応させました。最初のマルチ・800から始まり、その後の各車種も、インド市場の経済的条件と気候風土に合わせた設計がされています。
生産面では、スズキが得意とする「直線ライン」という工場レイアウト方式を採用。部品搬送のムダを省き、工程間のバッファーを最小化することで、工場面積を最小限に抑えながら高い効率性を実現しています。この方式により、マルチ・スズキは低コスト体質を維持しながら、競争力のある価格設定を可能にしてきました。
マルチ・スズキの企業規模は以下の通りです。
2024年は、スズキにとってインド事業における記念すべき年となりました。2024年暦年(1月~12月)において、マルチ・スズキはスズキグループにおいて初めて、1年間の生産台数が200万台を超えるという快挙を達成しました。この200万台という数字は、スズキがインド市場にたどり着いた時の年間市場規模3万台から見れば、実に67倍にもなる成長です。
同時にマルチ・スズキは、1983年12月の生産第一号車ラインオフから2024年3月までの41年間で、累計生産台数3,000万台を達成しました。この数字は、一つの企業が一つの国で生産した台数としては、世界的に見ても極めて稀有な成果です。
近年、マルチ・スズキはインド国内市場だけでなく、グローバルな輸出拠点としても大きく成長しています。かつてインド製の自動車は「新興国向けの廉価品」というイメージを持たれることもありましたが、スズキの品質管理と技術力により、インド製スズキ車は国際的な信頼を獲得するようになりました。
2024年暦年における輸出実績は、過去最高の326,236台に達し、前年比121%の大幅増加となりました。特に欧州市場や南アジア周辺国への輸出が伸長しています。バレーノやフロンクス、ブレッツァなどのモデルは、インド国内で高い評価を受けるとともに、世界市場でも好評です。例えば、バレーノは2016年2月から2020年3月まで日本向けにも輸出され、現在ではフロンクスが日本市場にも輸出されています。
マルチ・スズキの累計輸出台数は、2024年11月に300万台を超えるという節目を迎えました。これは、インドで生産される自動車が、単にインド国内のニーズを満たすだけでなく、世界規模での競争力を備えていることを証明しています。
スズキは2030年に向けた野心的な生産能力拡大計画を展開しています。現在の生産能力235万台(カルコダ工場稼働前時点)から、2025年には260万台へ、そして2030年までには400万台の年間生産体制の確保を目指しています。この倍増近い生産能力の増強は、インド国内向けの300万台の販売に加え、100万台規模までの拡大が期待される輸出事業に対応するためのものです。
グジャラート州では、グジャラート工場に加えて、新たな大型工場の建設も計画されています。この計画が完全に実行されれば、2030年までにインドはスズキのグローバル生産体制における最大の生産国となることが確定的となります。これは、かつての年間市場規模3万台から見れば、想像を超えるほどの進化です。
インドからの輸出が2024年に326,236台、前年比121%という急速な伸びを示している背景には、複数の要因があります。まず、ガソリン車のみならず、CNG(圧縮天然ガス)車の生産が着実に増加していることが挙げられます。CNG車はガソリンよりも低価格で、かつCO2排出量がガソリン車より約20%少ないという環境上の利点があり、インド国内でのシェア拡大に加え、輸出市場でも需要が高まっています。
加えて、マルチ・スズキが2015年に立ち上げた上級販売網「NEXA(ネクサ)」の展開により、高価格帯の商品ラインアップも充実しました。ブレッツァ、イグニス、S-CROSS、バレーノなどのモデルは、インド国内の中流層の拡大とともに、輸出市場でも一定の需要を確保しています。
2012年7月には、マーネーサル工場で従業員間のトラブルが発端となって大規模な暴動が発生し、約1か月間の操業停止を余儀なくされた歴史的な事件もありました。この事件は、インド労働環境の複雑さと、スズキが直面する経営課題を浮き彫りにしました。しかし、この危機を乗り越えることで、マルチ・スズキはさらに強固な企業体質を構築することになったのです。
2024年10月29日、スズキは2025年9月30日を目処に、四輪車生産子会社「スズキ・モーター・グジャラート」をマルチ・スズキが吸収合併することを発表しました。この合併により、スズキのインド事業体制はさらに統一化され、生産効率と経営効率の向上が期待されています。これは、スズキがインド事業を生涯の中核事業として位置づけ、組織体制を大幅に再編する重要な戦略転換を意味しています。
参考:スズキ公式ニュース(カルコダ工場生産開始について)
https://www.suzuki.co.jp/release/d/2025/0225/index.html
参考:Wikipedia「マルチ・スズキ・インディア」記事(企業概要、歴史、生産車種の詳細情報)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2