日本坂トンネル火災事故サニーから学ぶ教訓と対策

1979年に発生した日本坂トンネル火災事故で、日産サニーを含む173台の車両が焼失しました。この未曾有の大惨事から、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか?

日本坂トンネル火災事故とサニー

日本坂トンネル火災事故の概要
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事故発生の状況

1979年7月11日、東名高速道路日本坂トンネルで6台の車両が絡む多重追突事故が発生。サニーを含む乗用車とトラックが巻き込まれました。

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火災の拡大

追突により漏れたガソリンに引火し、後続の173台の車両が焼失。鎮火まで65時間を要する大惨事となりました。

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被害の規模

死者7名、負傷者2名という人的被害に加え、トンネル設備も焼損。日本の道路トンネル火災史上最大規模の事故です。

1979年7月11日18時37分頃、静岡県の東名高速道路日本坂トンネル下り線で、日本の道路史に残る大惨事が発生しました。このトンネル内で発生した多重追突事故が、未曾有の火災へと発展したのです。事故は焼津市側出口から約400メートルの地点で発生し、大型トラック4台と乗用車2台が絡む玉突き事故となりました。
参考)日本坂トンネル火災事故 - Wikipedia

事故の中心となった車両の一つが、日産サニーでした。このサニーは、先に追突した大型トラックBの後方から追突し、さらに後続のトラックに挟まれる形となりました。車両の衝突により破損したサニーのガソリンタンクから燃料が漏れ出し、電装配線のショートで生じた火花がこれに引火したと考えられています。この初期の火災が、トンネル内で立ち往生していた後続車両に次々と燃え広がる原因となったのです。​

日本坂トンネル火災事故におけるサニーの役割

事故の詳細な調査によると、名古屋ナンバーの大型トラックAが前方の渋滞に気づくのが遅れて急ブレーキをかけたことが事故の発端でした。これに後続の大阪ナンバーの大型トラックBが前方不注意で追突し、さらにその後ろを走っていた日産サニー(乗用車C)がトラックBに追突しました。サニーの後ろには日産セドリック(乗用車D)が走っており、これも衝突に巻き込まれました。
参考)失敗事例 href="https://www.shippai.org/fkd/cf/CD0000132.html" target="_blank">https://www.shippai.org/fkd/cf/CD0000132.htmlgt; 東名日本坂トンネルの火災

最も悲劇的だったのは、サニーの後方に停車していた大型トラックEに、時速100キロメートルで走行していたトラックF(松脂積載)が追突したことです。この激しい衝突により、サニーはトラックBとトラックEに挟まれる形で車体全体がトラックBの下部にめり込み、完全に押しつぶされてしまいました。この衝撃でガソリンタンクに亀裂が生じ、漏れ出したガソリンに引火して爆発的な火災が発生したのです。​
サニーの乗員3名は車内に閉じ込められ、後続車の運転手らが救出を試みましたが、火と煙が激しく近寄ることができませんでした。トラックBの運転手とサニーの乗員2名がこの多重衝突で即死し、セドリックの3名は車両から脱出できずに焼死するという痛ましい結果となりました。​

日本坂トンネル火災事故の原因と背景

この大惨事を引き起こした原因は複合的でした。まず事故発生の直接的な原因として、トンネル出口付近で発生していた小さな接触事故による渋滞がありました。さらに当日は、事故発生時刻より前にも清水市内で別の交通事故が発生しており、その影響で通行止めが解除された直後だったため、トンネル内は通常より多くの車両が車間距離を詰めて走行している状況でした。
参考)https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9D%82%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E7%81%AB%E7%81%BD%E4%BA%8B%E6%95%85_%E6%A6%82%E8%A6%81

火災が拡大した要因として、事故車両に積載されていた可燃性物質が挙げられます。トラックには合成樹脂やポリエチレン、松脂といった燃えやすい積荷が積まれており、これらに引火したことで19時02分頃に爆発的な炎上が発生しました。この爆発により、トンネルの防災設備を制御するケーブルが摂氏800度を超える高熱を受けて、排煙設備以外のほとんどの設備が停止してしまったのです。
参考)日本坂トンネル火災事故 - Wikiwand

1993年の東京高等裁判所の判決では、トンネルの防災設備と運用について3つの瑕疵が指摘されました。第一に初期消火手段の不完全さです。監視カメラのモニターが切られていたため、火災発生から断定までに約1分を要し、その間消火栓のロックが解除されませんでした。第二に消防機関への通報の遅れがありました。焼津市消防本部への出動依頼が遅れたことで、初期消火の機会を逸したのです。第三に後続車への情報提供が不十分でした。トンネル情報板の設置位置が適切でなく、多くの車両がトンネル内へ進入してしまったことが被害を拡大させました。​

日本坂トンネル火災事故後の対策と教訓

この事故を教訓に、日本のトンネル防災システムは大きく改善されました。まず照明の一部と避難誘導灯回路、消火設備の制御回路に耐火ケーブルが使用されるようになりました。これにより高温下でも防災設備が機能を維持できるようになったのです。トンネル内部には200メートル間隔で10箇所の消防用給水栓が新設され、事故前は両坑口付近にしか設置されていなかった消防設備が大幅に増強されました。
参考)43年前の事故を教訓に 静岡県の東名日本坂トンネルで火災訓練…

電源が切れても30分程度点灯可能な電池内蔵型の非常口位置表示灯と避難誘導灯標識が設置され、停電時でも避難誘導ができる体制が整えられました。また、警報表示板が坑口700メートル前と坑口の2箇所に増設され、特に小坂トンネルと日本坂トンネルの直前には4灯式トンネル用信号機(赤色灯が2つ)が1981年9月1日に設置されました。これにより後続車への情報伝達が大幅に改善されたのです。​
運用面でも大きな変更が加えられました。トンネル内での規制速度が70km/hに制限され、車線変更も禁止となりました。車間距離確認標識と路面表示が設置され、トンネル入口手前には注意喚起のための薄層舗装が施されました。これらの対策はモデルケースとなり、その後建設される中央自動車道恵那山トンネルや九州自動車道の長大トンネルにも同様の防災対策が施されるようになりました。​
2022年には事故から43年を経ても、風化させないための防災訓練が継続して実施されています。訓練には警察や消防など関係機関からおよそ90人が参加し、多重事故で車両火災が発生した想定で救助活動や避難誘導の訓練を行っています。中日本高速道路の担当者は「決して風化させることなく、訓練を通じてさらにトンネル防災の対策の強度をあげていきたい」と述べています。​

トンネル火災発生時の避難方法

現在、トンネル内で火災に遭遇した場合の避難方法が確立されています。最優先すべきは避難であり、車両は消防車などの通行を妨げないよう端に寄せてエンジンを止め、サイドブレーキをかけてキーを残したまま避難することが重要です。これは消防隊や道路管理者が車両を移動させる必要がある場合に備えるためです。
参考)トンネル火災事故に遭遇した時の安全な避難手順とは?|HOME…

トンネルには300メートルごとに地上や外へ出られる非常口(緊急避難路)が設置されています。50メートルごとに非常口への距離を示した誘導表示があり、煙で視界が悪くなっても非常口への方向を見誤らないように点滅して進むべき方向を示す非常用誘導ランプが備わっています。非常口から避難路へ出ると、そこは煙が入ってこない安全な空間になっており、階段や通路を通って地上へ避難できます。
参考)301 Moved Permanently

トンネル内の壁面には50メートル間隔で消火器もしくは消火栓が設置されていますが、これらは危険が及ばない状況で初期消火が可能なケースに限り使用すべきです。消火器は油類の初期消火に有効で、レバーの安全ピンを引き抜いてレバーを握ると、約20~30秒間粉末消火剤が噴出します。ただし完全に消えなければ再び燃え広がる危険性があるため、その場合はすぐに避難することが重要です。
参考)トンネル内で火災が発生!

日本坂トンネル火災事故が自動車運転に与えた影響

この事故は東海道の大動脈である東名高速道路を1週間ほど通行止めにし、完全な復旧は事故から60日後の9月9日まで待つこととなりました。7月18日に上り線を利用した対面通行で仮開通したものの、この影響で静岡県内の国道1号や国道150号などの並行道路では数十キロメートルにも及ぶ大渋滞が発生し、物流に多大な影響を及ぼしました。
参考)日本坂トンネル - Wikipedia

興味深いエピソードとして、この渋滞によりプロ野球の南海ホークスのユニフォームや野球道具を積載したトラックの到着が大幅に遅れ、7月13日に後楽園球場で開催予定だった対日本ハムファイターズ戦が試合中止を余儀なくされるという出来事もありました。また、名古屋テレビ放送の大型中継車もトンネルの中央部分で停止し、スタッフは煙に巻かれる前にカメラ機材などをすべて放棄して避難したと報告されています。​
トンネル自体への影響も甚大でした。当初はすぐに鎮火し復旧できると思われていましたが、火の勢いが強すぎて有効な消火活動が行えず、鎮火までに65時間を要しました。鎮火後には「トンネル内のコンクリートが崩れ、鉄骨が湾曲していた」「炎上したトラックの一つに積んであったマグロが燃え尽きて骨だけになっていた」などの被害が次々と明らかになりました。
参考)日本坂トンネル火災事故とは何? わかりやすく解説 Webli…

被災した車両173台はその後、清水IC内の空き地に一旦移動して収容されましたが、数年もの長きにわたって同じ場所へと留め置かれたままとなりました。多くの車両でナンバープレートが溶解して判読不能となり、所有者を割り出すのに時間がかかったことや処理についての問題が解決しなかったためです。清水ICを利用する車両や真横を通る国道1号線の車両・歩行者の目にもつきやすいことから、風致的な問題も指摘されていました。​
日本坂トンネル火災事故は、日産サニーという一般的な乗用車が巻き込まれた多重追突から始まり、173台もの車両を焼失させる大惨事へと発展しました。この事故から得られた教訓は、現在の日本のトンネル防災システムの基礎となっており、二度と同様の惨事を繰り返さないための取り組みが今も続けられています。
参考)「他人ごとではなく自分ごとと捉えて」東名高速日本坂トンネルで…

日本坂トンネル火災事故の詳細な経緯と対策について、Wikipediaに包括的な情報がまとめられています。事故の時系列や裁判での判決内容など、詳しい情報を確認できます。
失敗知識データベースには、事故の原因分析と教訓が体系的にまとめられています。防災設備の改善点や事故シナリオの詳細が記載されており、技術的な側面を学ぶことができます。
NEXCO中日本の公式サイトでは、トンネル内火災発生時の具体的な対処法が図解付きで説明されています。通報装置の使い方や消火器の操作方法など、実践的な情報を得られます。