池沢さとしサーキットの狼と描く昭和スーパーカーブーム

1970年代、池沢さとしの漫画「サーキットの狼」が巻き起こしたスーパーカーブームは、子供たちを熱狂させた社会現象でした。ロータスから始まった伝説的な作品は、今なお自動車文化に影響を与え続けています。あなたは当時のブームをご存知ですか?

池沢さとしサーキットの狼とは

サーキットの狼の魅力
🏎️
社会現象を起こした漫画

1975年から1979年まで週刊少年ジャンプで連載され、累計1800万部を突破した伝説的作品

スーパーカーブームの火付け役

フェラーリやランボルギーニなど世界の名車が登場し、子供から大人まで夢中にさせた

🎯
リアルな描写による説得力

作者自身が実際に所有したスーパーカーの経験を基に、臨場感あふれる描写を実現

「サーキットの狼」は、池沢さとし(現・池沢早人師)が1975年から1979年まで週刊少年ジャンプで連載した自動車漫画です。 主人公の風吹裕矢が愛車ロータス・ヨーロッパを駆り、公道やサーキットでライバルたちと競い合いながらプロレーサーへ成長していく物語で、2011年時点で復刻版を含む累計発行部数が1800万部を突破しています。
参考)サーキットの狼 - Wikipedia

連載当初はスポーツカーを主題とした内容に編集者が難色を示し、池沢の2年間の説得を経てようやく連載が決定しました。 しかし連載開始後も15週目で打ち切りが確定していたものの、同週に行われた読者人気投票で爆発的な人気を獲得し、急遽連載続行が決定した経緯があります。 その後は少年ジャンプの看板漫画としての地位を確立し、1970年代後半のスーパーカーブームを巻き起こす社会現象となりました。
参考)スーパーカーブームを巻き起こした漫画「サーキットの狼」

作品の大きな特徴は、作者自身の実体験に基づくリアルな描写です。 池沢は当時「池沢は速い」という噂が立つほど公道を走り込んでおり、「いつ死ぬかわからない」という覚悟で、走りに行く時は必ず新品の下着を身につけていたと語っています。 作品前半から中盤までは、ほとんどが作者自身の経験がネタになっており、オーナーだからこそ語れるエピソードや再現できるディテールが、架空の物語でありながらリアルさを感じさせる要素となりました。
参考)漫画「サーキットの狼」の作者 “池沢早人師” に聞いたクルマ…

池沢さとし主人公ロータスヨーロッパを選んだ理由

主人公・風吹裕矢の愛車がロータス・ヨーロッパに決まった理由は、池沢自身が初めてこの車を見た時の感動が忘れられなかったからです。 当時、池沢もロータス・ヨーロッパに乗っており、実際にドライブすると運転がうまくなったかのように思えるほど素晴らしいクルマだったと語っています。
参考)漫画家・池沢早人師氏がデビュー50周年。「池沢早人師トーク&…

ロータス・ヨーロッパを購入したことで、ロータスディーラーで知り合ったロータス乗りたちと毎週のようにツーリングへ行くようになりました。 その横のつながりで、さまざまなスポーツカーやスーパーカーも知ることになり、「サーキットの狼」の前半部分に出てくるような輸入車のほとんどを、そのときに見ることができたといいます。
参考)『サーキットの狼』はかくして誕生した!──ロータス ヨーロッ…

漫画の中でのロータス・ヨーロッパは練馬ナンバーですが、これは当時池沢が乗っていたロータス・ヨーロッパのナンバーをそのまま使用しているそうです。 このように、ロータス・ヨーロッパという「軸」ができたことで、裕矢のライバルたちが乗っている車の設定も自然と決まっていき、作品の公道編の「物語」が膨らんでいったのです。​
愛車のロータスのトランク部分には星マークが刻まれており、勝負に勝った数だけ星の数も増えていくという勝利の証が描かれています。 主人公の風吹は当初暴走族に身を置き「ロータスの狼」と呼ばれていましたが、数々のライバルたちとの勝負を経てプロレーサーへと成長していきました。
参考)「サーキットの狼」に登場した名車たち!ロータス、ポルシェ、そ…

サーキットの狼に登場したスーパーカー一覧

「サーキットの狼」には、1970年代を代表する世界中の著名なスーパーカーが多数登場しました。主な登場車種は以下の通りです。

 

  • 🏎️ ロータス・ヨーロッパ(主人公の愛車)
  • 🏎️ ポルシェ911カレラRS2.7
  • 🏎️ ポルシェ930ターボ
  • 🏎️ ランボルギーニ・ミウラP400S
  • 🏎️ ランボルギーニ・カウンタックLP500
  • 🏎️ フェラーリ・ディーノ246GT
  • 🏎️ フェラーリ・デイトナ
  • 🏎️ フェラーリ512BB
  • 🏎️ ランチア・ストラトス
  • 🏎️ トヨタ2000GT
  • 🏎️ 日産フェアレディZ

これらのスーパーカーの多くは、実際に池沢が所有していた車両でした。 池沢はこれまでスーパーカー以外のメルセデス・ベンツやBMWも含めると70台ちょっとのクルマを乗り継いでおり、その中でも印象に残るのがトヨタ2000GTだったそうです。
参考)スーパーカーブームの正体 「サーキットの狼」から始まった日本…

当時の新車価格が238万円だったトヨタ2000GTを、2年落ちの中古車で250万円で購入したというエピソードや、ポルシェ930ターボではボディと一体となったオーバーフェンダーに魅了されて「ン百万円のローン」を組んで購入したという逸話もあります。 その当時は「サーキットの狼」がヒットしだしたころで、単行本の印税を見込んでローンを組んだとのことです。​
少年たちに人気のモデルはランボルギーニ・カウンタックやミウラ、フェラーリBBで、最高速はどちらが速いとか、本当に300km/h出るのかなど、終わりのないクルマ談義を延々と繰り返していたそうです。 現在では総生産台数約750台という希少なランボルギーニ・ミウラは、1億円を超える価格がついているとも言われています。
参考)消しゴムにメンコに文房具も全部スーパーカー! 昭和の少年が熱…

池沢さとしペンネーム変更と続編作品

池沢さとし(本名:池澤悟)は1950年8月27日生まれで、千葉県野田市出身の漫画家・小説家です。 1969年に高校3年生で漫画家デビューを果たし、1975年から代表作「サーキットの狼」の連載を開始しました。
参考)https://how-old.info/?name=%E6%B1%A0%E6%B2%A2%E6%97%A9%E4%BA%BA%E5%B8%AB

その後、池沢はペンネームを「池沢さとし」から「池沢早人師(いけざわ さとし)」に変更しています。 漫画家になりたいという夢の他にもう一つ「レーサー」になりたいという夢があり、クルマへの情熱が作品にも反映されていました。
参考)池沢早人師とは - わかりやすく解説 Weblio辞書

続編として「サーキットの狼II モデナの剣」が1989年から1995年まで週刊プレイボーイで連載されました。 主人公である剣・フェラーリがモータージャーナリスト兼レーシングドライバーとして活躍する一方で、私生活ではフェラーリを愛車にし周囲の女性達と恋愛遍歴を重ねる姿を描いています。
参考)サーキットの狼II モデナの剣とは - わかりやすく解説 W…

「モデナの剣」は週刊プレイボーイに連載されていたため、少年ジャンプ連載の「サーキットの狼」にはない大人向けの魅力が追加されています。 主人公「剣・フェラーリ」は車だけでなく女性にも手が早いという設定で、これによって類似性が多いものの飽きの来ないストーリーになりました。 さらに「21世紀の狼」などの続編も制作されています。
参考)サーキットの狼Ⅱ「モデナの剣」を一気読み!

池沢は2020年に漫画家デビュー50周年を迎え、トヨタ博物館で「池沢早人師トーク&サーキットの狼ミーティング」が開催されるなど、現在も精力的に活動を続けています。 トークショーでは、もし今「サーキットの狼」を連載するならロータス「エリーゼ」とアルピーヌ「A110」を登場させたいと語っていました。​

スーパーカーブームとスーパーカー消しゴム現象

1970年代後半、「サーキットの狼」の連載開始によって、日本全国にスーパーカーブームという社会現象が巻き起こりました。 当初は現実離れしたストーリーなので注目を集めるまでにはいたらず、ほどなく連載打ち切りになるだろうと思われていましたが、漫画に登場するスーパーカーのデザインのかっこよさに心酔した読者、特に子供たちがスーパーカーのかっこよさに夢中になり人気は爆発しました。​
スーパーカーブームはあっという間に全国に広がり、「スーパーカー」のテレビ番組まで創られました。 小学生の間では「スーパーカー消しゴム」が大流行し、スーパーカーを扱う輸入車ディーラーには、カメラを持った子供たちが押し寄せたと言われています。​
スーパーカー消しゴム(略称:カー消し)は、名称に消しゴムとあるものの、文具の消しゴムとしての機能の無い玩具であるミニカーの一種でした。 大きさは全長3cm程度でカラフルな単色で、材質に磁性体を混合した「マグネット消しゴム」や夜光塗料を混合したものもありました。
参考)スーパーカー消しゴム - Wikipedia

ほとんどが「サーキットの狼」に登場するスーパーカーを元にしており、大多数のスーパーカー消しゴムの裏面には車名が刻まれていました。 フェラーリやランボルギーニ、ポルシェやロータスといったスーパーカーが消しゴムとなって、当時の学生にとって教科書よりも重要な存在となっていたのです。
参考)文字は消せなかったけど大人気だった!「スーパーカー消しゴム」…

ブームの最中、授業中に教科書の下に「サーキットの狼」をしのばせて夢中になっているところを見つかり、先生に怒られたという想い出を持つ方も多いようです。 また、ご近所の子供が自分の自転車で幻の多角形コーナリングを特訓していたという微笑ましいエピソードもあります。​

池沢さとしが現代の自動車業界に与えた影響

「サーキットの狼」は1979年に週刊少年ジャンプ誌上での連載を終えた後も、自動車業界や自動車に携わる人々に影響を与え続けています。 現在50~60代前後の自動車ライターや自動車販売業者、あるいは自動車の設計やデザインなどを行っている人らは、おおむね全員が大なり小なり「サーキットの狼」の影響を直接または間接的に受けているはずだと言われています。
参考)『サーキットの狼』50周年 スーパーカーブームを振り返る -…

具体的な例として、自動車ライター・清水草一さんが挙げられます。 大手出版社で順風満帆なサラリーマン生活を送っていた清水氏がフェラーリの魅力を知り、後に大手出版社を退職してフリーランスの物書きとなったのも「サーキットの狼」が遠因です。​
週刊プレイボーイの社員編集者だった当時、「サーキットの狼II モデナの剣」を連載していた池沢の担当となり、池沢が所有していた「フェラーリ・テスタロッサ」を運転させてもらったことで「脳天に雷が落ちた!」というのが、「自動車ライター・清水草一」誕生のきっかけなのです。​
池沢は若者のクルマ離れを止めるための提案として、「手前味噌になってしまうけど、『サーキットの狼』ではまだ免許を持っていない子供たちが目を輝かせてクルマに興味を持ってくれた。従って、トヨタあたりがスポンサーになって子供たちが喜ぶクルマが登場するアニメを作ればいいんじゃないかな。数年先のお客さまも増えるはず」と語っています。​
茨城県には「池沢早人師・サーキットの狼MUSEUM」が存在し、作品に登場したスーパーカーや関連資料が展示されています。 トヨタ博物館の常設展示室「クルマ文化資料室」にもクルマを題材にした漫画のコーナーがあり、池沢の作品が自動車文化の重要な一部として認識されていることがわかります。
参考)池沢早人師・サーキットの狼 MUSEUM(茨城県) − 全国…

このように、「サーキットの狼」は単なる漫画作品にとどまらず、日本の自動車文化そのものに大きな影響を与え続けており、現在も多くの自動車ファンにとってスーパーカーカルチャーの原点として語り継がれているのです。​
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