波崎シーサイド道路通行料4万円事件と17年ぶり再開の真相

茨城県神栖市の波崎シーサイド道路で起きた通行料4万円事件の真相と、17年間の通行止めから2023年7月に再開されるまでの経緯を詳しく解説。なぜこの道路は「平成の関所」と呼ばれたのか?

波崎シーサイド道路の歴史と通行料問題

波崎シーサイド道路の概要
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道路の基本情報

1970年に鹿島臨海工業地帯開発に合わせて整備された全長20km近い市道

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私有地問題の発生

1994年に地権者が土地を購入後、道路の一部が私有地であることが判明

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通行止めの実施

2006年から約17年間、私有地を含む約5kmの区間が通行止めに

波崎シーサイド道路の建設経緯と初期の役割

波崎シーサイド道路は1970年、茨城県が鹿島臨海工業地帯の開発に向けて施工した道路です。太平洋に面する神栖市の海沿いを走るこの道路は、風力発電の巨大な風車が立ち並ぶ中を2車線で走り抜けていく快走路として知られていました。

 

当初は無料で通れて信号がなくスピードが出せることから「弾丸道路」と呼ばれていた時代もあり、銚子方面から鹿島工業団地にクルマ通勤する人にとって理想的な通勤ルートでした。また、1987年から2010年まで開催されていた波崎トライアスロン大会のコースとしても使用されていました。

 

東京から車で2時間程度でアクセスできる立地にあり、夏の海水浴シーズンには多くのレジャー客やキャンプ場利用者で賑わっていました。道路沿いには波崎シーサイドキャンプ場や釣具店なども営業しており、地域の重要な観光ルートとしての役割も果たしていました。

 

波崎シーサイド道路の私有地問題発生の詳細

問題の発端は1994年に遡ります。この年、現在の地権者が土地を購入したところ、後に町道約80メートルが土地に含まれていることが発覚しました。道路建設時に当時の波崎町(現・神栖市)が土地の権利関係を十分に確認しなかったことが根本的な原因でした。

 

私有地の境界線を巡るトラブルで、地権者は当時の波崎町を相手取り最高裁まで裁判に持ち込みました。土地取得の時点で落ち度があった波崎町は敗訴し、2004年に道路の一部が地権者のものと認められました。

 

その後、波崎町は地主に使用料を払いながら町道として使い続ける一方で、土地買収の話を持ちかけて問題を解決しようとしました。しかし、地主は頑として聞かず、さらに波崎町が合併で神栖市になり担当者も変わったことでますます泥沼化していきました。

 

波崎シーサイド道路の通行料エスカレーション

当初、地権者は通行料として500円を徴収していました。しかし、時間が経つにつれて通行料は段階的に値上がりしていきました。500円から1万円、3万円、そして最終的には4万円まで跳ね上がりました。

 

2019年時点では通行料が500円から2万円に上がっていましたが、その後さらに4万円まで値上がりしました。さらに恐ろしいことに、通行料を払えなかった場合は金を用意するまで車を地権者に預けなければならず、1日毎に預かり料が4万円かかるという仕組みでした。

 

地権者は小屋を設置し、通行する車一台一台に目を光らせ、近くを通りかかる人にも「ここは私有地である」と権利を主張していました。道路には「私道私道私道私道」と書かれたポリタンクや障害物が置かれ、まるで江戸時代の関所のような状況が現出していました。

 

波崎シーサイド道路での地権者逮捕事件の真相

2022年11月8日午後4時50分頃、波崎シーサイド道路で衝撃的な事件が発生しました。43歳の会社役員が私有地に進入したところ、地権者に通行料4万円を請求されましたが、支払いを拒否したため口論になりました。

 

地権者である70歳男性は、立ちはだかる会社役員めがけてクルマを急発進させ、会社役員は転倒して全治2か月の重傷を負いました。この事件により、地権者は約1か月後の12月5日に傷害罪で逮捕されました。

 

逮捕まで時間がかかった理由は、地権者が容疑を否認(黙秘)していたためです。地権者は故意にぶつけたことを認めず、あくまでも「過失」によって被害者を転倒させてしまったと主張していました。しかし、警察は状況から見て意図的にぶつけたのは明らかだと判断し、逮捕に至りました。

 

波崎シーサイド道路が地域経済に与えた影響

通行止め措置により、波崎シーサイド道路周辺の経済活動は大きな打撃を受けました。隣接するキャンプ場や商店も来客が激減し、店は殆どが潰れてしまいました。地権者対行政だけでは留まらない大きなトラブルに発展してしまったのです。

 

波崎シーサイドキャンプ場のホームページには「看板を気にせずお通り下さい」という案内が掲載されるほど、観光客の混乱は深刻でした。夏場を中心に海水浴やサーフィンを目的として訪れる客から駐車料金を徴収していた地権者の駐車場も、レジャー客の減少により影響を受けました。

 

地元では早期の再開通を望む声が多く、通行止めになって以来、市議会でもたびたび取り上げられていました。経済損失や渋滞の懸念から、地域住民の間では問題の早期解決が強く求められていました。

 

通行止めの影響は観光業だけでなく、日常の交通にも及びました。銚子方面から鹿島工業団地への通勤ルートとして利用していた人々は、大幅な迂回を余儀なくされ、通勤時間の延長や燃料費の増加などの負担を強いられました。

 

波崎シーサイド道路の2023年7月再開通の経緯

長年にわたる問題がついに解決の兆しを見せたのは2023年3月のことでした。神栖市と私有地の買い取りに関する和解が成立し、他の地権者とも交渉が行われました。

 

石田進市長は「神栖市を含めた複数人で所有する土地が含まれるものの、道路法に基づき供用開始された市道として管理する」と発表しました。これにより、2006年から約17年間続いた通行止めがついに解除されることになりました。

 

2023年7月5日、神栖市は7月10日10時半から通行を再開すると正式に発表しました。通行止めの区間は、波崎RDFセンター付近から北(鹿島港方面)へ約5kmの間の一部でしたが、これが全面的に解除されることになりました。

 

再開通により、「迂回せよ」「この先私有地あり通り抜けできません」と告げる市の看板も撤去され、17年ぶりに全区間で通行できるようになりました。地域住民や観光業者にとって、長年の悲願がついに実現した瞬間でした。

 

市は通行再開までは引き続き通行止めであるため、この区間を使う際は並行する県道などへ迂回するよう要請していましたが、再開通後は正常な交通が復活しました。