スズキのインド法人であるマルチ・スズキは、2023年2月10日に新型コンパクトセダン「ツアーS」を発売しました。その後、2025年3月には全面刷新されたモデルが発表され、インド市場での商用車セグメントにおける重要な位置を占めています。
インド市場において、マルチ・スズキは商用車シリーズ「ツアー」を展開しており、ハッチバックやワンボックスカーなどが含まれています。その中でも「ツアーS」は中核を担うモデルとして、タクシーをはじめとする多用途に使用されています。
このモデルの特徴的な点は、エントリークラスのタクシー向けセダンとして設計されていることです。インドの商用車市場では、耐久性と燃費性能、そして手頃な価格が重要な要素となっており、ツアーSはこれらの要求を満たすために開発されました。
インド市場での商用車需要は年々増加しており、特にタクシーサービスの拡大に伴い、信頼性の高い車両への需要が高まっています。スズキはこの市場機会を捉え、長年培ってきた技術とノウハウを活用してツアーSを投入しました。
ツアーSの価格設定は、インド市場における商用車として非常に競争力のある水準に設定されています。ガソリンモデルが65.1万ルピー(約113万円)という価格は、同クラスの競合車種と比較しても際立って魅力的です。
この価格設定の背景には、インド市場での大量生産によるスケールメリットがあります。マルチ・スズキは長年にわたってインド市場で事業を展開しており、現地での生産体制を確立しています。これにより、部品調達から組み立てまでの一貫した現地化を実現し、コストダウンを図っています。
また、商用車として必要な機能に絞り込んだ装備構成も、価格競争力の要因となっています。エクステリアはディザイアの最廉価グレード「LXI」がベースとなっており、ドアミラーやドアハンドル、リアガーニッシュは黒い樹脂素材のまま、ホイールもシンプルなスチール製を採用しています。
この価格帯で提供される装備内容を考慮すると、ツアーSは商用車市場において極めて高いコストパフォーマンスを実現していると言えます。特に、個人タクシー事業者や小規模な運送業者にとって、初期投資を抑えながら信頼性の高い車両を導入できる点は大きなメリットとなります。
ツアーSには2種類のパワートレインが用意されており、それぞれ異なる特性を持っています。ガソリンエンジンは最大出力113Nm・89馬力を発揮する1.2リッターエンジンを搭載し、一方でCNG(圧縮天然ガス)エンジンは98.5Nm・76馬力の出力を発生します。
燃費性能においては、ガソリンモデルが23.15km/L、CNGモデルが32.12km/kgを実現しており、先代モデルと比較して21%の向上を達成しています。この燃費改善は、第5世代「HEARTECT」プラットフォームの採用による軽量化と、エンジンの効率化によるものです。
CNGエンジンの採用は、インド市場における環境規制の強化と燃料コストの削減ニーズに対応したものです。CNGは天然ガスを圧縮した燃料で、ガソリンと比較してCO2排出量が少なく、燃料費も安価です。特に商用車として長距離を走行するタクシーにとって、燃料費の削減は運営コストに直結する重要な要素となります。
エンジンの耐久性についても、商用車として過酷な使用条件に耐えうる設計が施されています。インドの道路環境は多様で、都市部の渋滞から郊外の未舗装路まで様々な条件での走行が想定されるため、エンジンには高い信頼性が求められます。
ツアーSのベースとなっているのは、インドで2008年の発売以来、累計300万台以上を販売したスズキの主力セダン「ディザイア」です。ディザイアは元々、コンパクトハッチバック「スイフト」を基にトランクスペースを拡張したセダンでしたが、2024年のフルモデルチェンジにより、スイフトとは異なるボディを持つ、セダンらしい上質なデザインを採用しました。
エクステリアデザインは4代目のスイフトやディザイアに基づいたものとなっており、逆台形型のグリルや丸みを帯びたサイドウインドウなどが特徴的です。リアにはLEDテールランプと「Tour S」バッジを装備し、商用車でありながらモダンな外観を実現しています。
興味深い点は、このデザインが2014年に販売が終了した日本の「SX-4セダン」にどことなく雰囲気が似ていることです。これは偶然の一致ではなく、スズキのグローバルデザイン言語が反映された結果と考えられます。
商用車としての実用性を重視しながらも、デザイン面での配慮も怠らない姿勢は、ブランドイメージの向上にも寄与しています。タクシーとして使用される際も、乗客に与える印象が良好であることは、サービス品質の向上につながります。
日本の自動車市場では、小型セダンジャンルが縮小傾向にある中で、ツアーSのような実用性重視のモデルが注目を集める可能性があります。現在の日本市場では、SUVやミニバンが主流となっており、セダンの選択肢は限られています。
しかし、商用車や業務用車両としてのセダンの需要は依然として存在します。タクシー業界では、乗客の快適性とドライバーの運転しやすさを両立したセダンが求められており、ツアーSのようなモデルは有力な選択肢となり得ます。
また、環境意識の高まりとともに、CNGエンジンのような代替燃料への関心も増加しています。日本でも水素エンジンやバイオ燃料の研究が進んでいる中で、CNGエンジンの技術は参考になる部分があります。
価格面でも、ツアーSの約113万円という価格設定は、日本市場においても競争力を持つ可能性があります。特に、法人向けの営業車や配送車として、コストパフォーマンスを重視するユーザーには魅力的な選択肢となるでしょう。
ただし、日本市場への導入には、安全基準や排出ガス規制への適合、右ハンドル化などの課題があります。これらの課題をクリアできれば、日本の小型セダン市場に新たな選択肢を提供することができるかもしれません。
今後のスズキの戦略として、グローバルモデルの展開を進める中で、ツアーSのような実用性重視のモデルが他の市場でも展開される可能性は十分にあります。特に、商用車需要の高い東南アジア市場や南米市場では、同様のニーズが存在すると考えられます。