「空飛ぶレンガ」として知られるボルボ240の愛称「Flying Brick」は、実は多くの人が誤解している表現です。この「Flying」は「飛ぶ」という意味ではなく、「速い」を意味しており、正確には「速いレンガ」という意味になります。
ボルボ自身がこの愛称を使用したわけではなく、モータースポーツファンや自動車愛好家の間で自然発生的に生まれた呼び名でした。四角く武骨な外観とは裏腹に、サーキットで見せる圧倒的な速さのギャップが、この印象的なニックネームを生み出したのです。
興味深いことに、この愛称が生まれた背景には、1980年代のツーリングカーレースにおけるボルボ240ターボの活躍があります。見た目の不恰好さと実際の性能の落差が、レースファンの間で話題となり、「レンガのように四角いのに、まるで飛んでいるかのように速い」という印象から生まれました。
ボルボ240ターボは、1985年と1986年の欧州ツーリングカーレース選手権(ETC)で圧倒的な強さを見せつけました。この2年連続でのチャンピオン獲得は、ボルボの技術力の高さを世界に知らしめる出来事となりました。
特に注目すべきは、ローバーSD1やBMW 3シリーズといった強豪ライバルを相手に、上位を独占するという圧倒的な成績を残したことです。これらの競合車種は、いずれもスポーティな外観と高い性能で知られていましたが、武骨な外観のボルボ240ターボがそれらを打ち負かしたのです。
レースでの成功の秘密は、1981年に追加されたターボチャージャーと、1984年以降に装備されたインタークーラーにありました。これらの技術により、2.3リッター4気筒エンジンから十分なパワーを引き出すことができ、サーキットでの戦闘力を大幅に向上させることに成功しました。
グループAのホモロゲーション取得のため開発された240Tは、エッゲンバーガー・チームによってオーガナイズされ、プロフェッショナルなレース活動が展開されました。この組織的なアプローチが、継続的な成功につながったのです。
ボルボ240シリーズが「レンガ」と呼ばれた理由の一つに、その堅牢な安全設計があります。1974年の登場以来、ボルボは一貫して安全性を最優先に考えた設計思想を貫いてきました。
特筆すべきは、1990年にエアバッグが追加され、1991年にはABSが装備されるなど、安全技術の導入が他メーカーよりも早期に行われたことです。これらの技術は当時としては非常に先進的で、現在では当たり前となっている安全装備の先駆けとなりました。
ボルボの安全への取り組みは、単なる装備の追加にとどまりませんでした。車体構造そのものから見直し、衝突時のエネルギー吸収や乗員保護を徹底的に研究しました。この結果、四角く無骨な外観となりましたが、それは機能美の表れでもあったのです。
日本市場においても、この安全性の高さが高く評価され、多くの台数が販売されました。特に1990年代のワゴンブームでは、ボルボ240ワゴンが「安全なファミリーカー」の代名詞として定着しました。
ボルボ240シリーズの車名には、興味深い法則が隠されています。当初は「シリーズ名+エンジン気筒数+ドア数」という3つの数字を並べる命名則が採用されていました。
具体的には、2ドアセダンが「242」、4ドアセダンが「244」、5ドアワゴンが「245」と呼ばれていました。この命名法則は、先代の140シリーズから受け継がれたもので、ボルボの伝統的なネーミング方式でした。
しかし、1983年からは統一して「240」という呼び名に変更されました。これは、ドア数による区別をやめ、シリーズ全体を一つのブランドとして確立する狙いがありました。この変更により、現在でも「240」として親しまれる名前が定着したのです。
意外な事実として、ボルボは当時オランダの自動車メーカーDAFを買収しており、240シリーズの一部はDAFとの共同開発によるものでした。この国際的な協力関係が、ボルボの技術力向上に大きく貢献したことは、あまり知られていない事実です。
ボルボ240「空飛ぶレンガ」の影響は、現代の自動車業界にも深く根ざしています。その最も大きな遺産は、安全性を最優先とする設計思想の確立です。
現在、すべての自動車メーカーが当たり前のように採用している安全技術の多くは、ボルボが240シリーズで先駆的に導入したものです。エアバッグ、ABS、衝撃吸収ボディ構造など、これらの技術は今や自動車の標準装備となっています。
また、機能美という概念も240シリーズから学ぶべき点です。見た目の美しさよりも機能を重視し、その結果として独特の魅力を持つデザインが生まれました。この考え方は、現代のSUVブームにも通じるものがあります。
モータースポーツの世界では、「見た目と性能のギャップ」という新しい魅力の形を提示しました。スーパーカーのような派手な外観ではなく、実用車ベースでありながら圧倒的な性能を発揮するという手法は、後のツーリングカーレースの発展に大きな影響を与えました。
さらに、ワゴンというボディタイプの地位向上にも貢献しました。240ワゴンの成功により、ワゴンは「実用的だが地味」な存在から「スタイリッシュで実用的」な存在へと変化し、現在のSUV人気の土台を築いたとも言えるでしょう。
ボルボ240「空飛ぶレンガ」は、自動車の価値観を根本から変えた革命的な存在として、今なお多くの自動車愛好家に愛され続けています。その無骨な外観の奥に秘められた技術力と安全への情熱は、現代の自動車開発においても重要な指針となっているのです。