2023年1月2日午後2時頃、ユタ州ワサッチ郡のミルホロー地区で発生したスノーモービル事故は、モータースポーツ界に衝撃を与えました。ワサッチ郡911センターへの通報を受けて、捜索救助隊、ワサッチ郡保安官事務所、ユタ州公園管理官、米国森林局の警察官が現場に駆けつけました。
事故の詳細について、現地当局の発表によると、ケン・ブロック氏は急斜面をスノーモービルで走行中に転倒し、スノーモービルの下敷きになってしまいました。事故発生時、ブロック氏はグループでスノーモービルを楽しんでいましたが、事故が起きた瞬間は単独で運転しており、他に巻き込まれた人はいませんでした。
現場での救助活動にもかかわらず、ケン・ブロック氏(55歳)の死亡が確認されました。州の検死局が正式な死因を判断することとなり、最初に対応した救助隊や関係機関の迅速な対応が評価されました。
この事故は、エクストリームスポーツに精通していたケン・ブロック氏にとって、スケートボード、スノーボード、バイク、そして自動車を自由自在に操るスペシャリストとしての経験があったにもかかわらず発生した予期せぬ悲劇でした。
ケン・ブロック氏の突然の訃報は、世界中のモータースポーツ界に計り知れない衝撃を与えました。特に注目すべきは、WRC(世界ラリー選手権)がFIAと協議の上で、2023年シーズンに限り彼のカーナンバー「43」を欠番とした措置です。
この措置は極めて異例で、WRCでの優勝経験がなく、トップ5入りの実績もないドライバーに対する対応としては前例がありません。これは、ケン・ブロック氏のラリー競技への多大な貢献と、モータースポーツ界全体への影響力の大きさを物語るエピソードとなりました。
さらに、ケン・ブロック氏の盟友であるトラビス・パストラーナが主催する北米ラリークロスのナイトロRXでは、カーナンバー「43」を永久欠番とする措置が取られました。これは一時的な欠番を超えた、永続的な追悼の意を示すものです。
TOYO TIREは清水隆史社長の追悼メッセージを発表し、同時に東京オートサロン2023で予定されていたイベントの内容変更を発表しました。ケン・ブロック氏は1月13日から15日にかけて3年ぶりに来日し、トーヨータイヤブースでトークショーを実施する予定でした。
モンスターエナジーも長年のブランドアンバサダーを務めていたケン・ブロック氏の死を受けて、哀悼の意を表明しました。ラリークロスアスリートの先駆者として、そして長い間ブランドアンバサダーを務めた彼の無念の死に、モンスターファミリー全体が深い悲しみを表現しました。
ケン・ブロック氏の死後、彼の家族は彼の遺志を継ぐ形で様々な活動を展開しています。特に注目すべきは、2023年のパイクスピーク・ヒルクライムでの出来事です。
16歳の娘リア・ブロックは、父親の遺作となった4WDで1,400馬力を誇る「フーニペガサス」(ポルシェ・911)を駆って、タイム計測を実施しないトリビュート・ランを行いました。このマシンは、ポルシェ917/20(通称:ピンクピッグ)をオマージュして製作されたもので、ケン・ブロック氏が2022年にパイクスピークでマシントラブルによりリタイアした際の雪辱を果たすべく準備していた特別な車両でした。
さらに驚くべきことに、妻のルーシー・ブロックもアンリミテッドクラスにEV(電気自動車)で初参戦し、クラス10位で完走を果たしました。これは、ケン・ブロック氏が生前から家族全体でモータースポーツに取り組んでいた証拠でもあります。
事故の前日には、ケン・ブロック氏は自身のFacebookで、娘リアが購入してリビルトした1985年式アウディUrクワトロをYouTubeで配信することを伝えていました。この投稿は、父娘の絆の深さと、次世代への技術継承への意欲を示す最後のメッセージとなりました。
年末にはリア・ブロックが米国内でフォーミュラ4のテストに参加しており、ケン・ブロック氏は娘の新たな挑戦を温かく見守っていました。16歳の娘とのコンビでのラリー参戦も始めており、家族でのモータースポーツ活動が本格化していた矢先の悲劇でした。
ケン・ブロック氏の事故は、エクストリームスポーツに内在する危険性を改めて浮き彫りにしました。彼は長年にわたってスケートボード、スノーボード、バイク、そして自動車を自由自在に操るスペシャリストとして活動していましたが、今回の事故はスノーモービルという比較的身近な乗り物で発生しました。
興味深いことに、ケン・ブロック氏は自動車での極限的なスタントドライブで世界的に有名でしたが、今回の事故は彼の専門分野とは異なる分野で起こりました。これは、どれほど経験豊富なプロフェッショナルでも、異なる分野での活動には予期せぬリスクが伴うことを示しています。
ケン・ブロック氏の「ジムカーナ」シリーズは、総再生回数5億回以上を記録し、世界中の人々に車の魅力を伝えました。しかし、これらの動画は安全を確保したクローズド環境でのパフォーマンスであり、一般の人々が真似すべきものではないという重要なメッセージも含んでいました。
彼の代表作である1965年式フォード・マスタングを改造した1,400馬力の「Hoonicorn_V2」や、1975年式フォード・F-150をベースにした914馬力の「Hoonitruck」などは、プロフェッショナルな技術と安全対策の下で製作・運用されていました。
今回の事故は、エクストリームスポーツ愛好者にとって、どれほど経験があっても常に安全への配慮が必要であることを痛感させる出来事となりました。特に、自然環境での活動においては、予期せぬ状況変化への対応が生死を分ける要因となることが再認識されました。
ケン・ブロック氏の突然の訃報に対して、世界中のファンコミュニティから前例のない規模の追悼の声が寄せられました。特に印象的だったのは、同じくトーヨータイヤのアンバサダーを務めるマッド・マイク選手からの心のこもった追悼メッセージでした。
マッド・マイク選手は「とても辛いよ、ケン。あなたは多くの人々そして私とリンク(息子)に、多大なインスピレーションを与えた遺産を残してくれた」と述べ、「リンクはヒーローを、私は大親友を失ってしまったよ」と個人的な関係の深さを表現しました。
さらに、「来週日本で会おうねとメッセージをちょうど送りあったところだった」という言葉は、東京オートサロン2023での再会を楽しみにしていた両者の関係性を物語っており、多くのファンの心を打ちました。
SNS上では、ケン・ブロック氏の代表的な動画シーンを引用した追悼投稿が相次ぎ、特に「ジムカーナ」第9作での踏切に突入する列車スレスレを通過するスタントシーンは、彼の勇敢さと技術力を象徴するものとして多くの人々に共有されました。
フーニガン・レーシング・ディビジョンの公式インスタグラムでの訃報発表は、「ケンには先見の明があり、パイオニアであり、象徴的な存在だった。そして最も重要なのは、彼は父親であり、夫でもあった」という言葉で締めくくられ、プロフェッショナルとしての功績と同時に、家族人としての側面も強調されました。
世界各国のモータースポーツ関係者からも追悼メッセージが寄せられ、ケン・ブロック氏がいかに国境を越えて愛され、尊敬されていたかが明らかになりました。彼の死は単なる一人のドライバーの死を超えて、モータースポーツ文化そのものの大きな損失として受け止められています。