スズキ「ボラン」は1982年に登場し、現在まで40年以上にわたってフルモデルチェンジを一切行わずに販売され続けている稀有な車両です。この車両の最大の特徴は、日本で同年に発売された軽商用バン「エブリイ」の初代モデルをベースとしていることです。
パック・スズキ(スズキのパキスタン法人)が現地工場で生産を担当し、パキスタンの道路事情に適応した仕様で製造されています。初代エブリイの面影を色濃く残すデザインは、現代の自動車と比較すると非常にシンプルで、装飾を一切廃したスクエアなスタイリングが特徴的です。
興味深いことに、日本では既に製造中止となった旧モデルが、途上国では実用性の高さから現在も重宝されているという現象の代表例となっています。これは自動車産業における「適正技術」の概念を体現した事例として、業界関係者からも注目されています。
ボランの最大の魅力は、194万パキスタンルピー(約97万円)という驚異的な価格設定にあります。商用バンモデルは4000ルピー高となりますが、それでも約99万円という価格を実現しています。
この価格を可能にしているのは、徹底的な装備の簡素化です。具体的には以下のような仕様となっています。
インテリアは外板がむき出しの状態で、豪華さや上質さは皆無です。120km/hメーターのみが装備され、4本スポークの大径ステアリングは革巻きやウッドなどの加飾は一切ありません。
唯一現代的な装備として、BluetoothやUSB接続、MP3対応のラジオデッキが装備されており、この点のみが現代に適合した仕様となっています。
ボランのパワートレインは796ccの直列3気筒エンジンを搭載し、最大出力37馬力、最大トルク62Nmを発揮します。トランスミッションは4速MTのみの設定で、駆動方式は後輪駆動となっています。
このエンジンは欧州の排出ガス規制「EURO-II」に対応しており、環境性能の高さもアピールポイントの一つです。出力は現代の基準では控えめですが、車両重量の軽さと相まって、パキスタンの道路事情には十分な性能を発揮します。
ボディサイズは全長3255mm×全幅1395mm×全高1845mm、ホイールベース1840mmと、現行の軽自動車よりもさらに小さなサイズです。この小ささが、道路整備が不十分な途上国の狭隘な道路での取り回しの良さを実現しています。
両側スライドドアを装備していますが、ウインドウは横開き式の手動で、加飾パーツは一切装備されていません。この実用性重視の設計思想が、40年以上にわたって愛され続ける理由の一つとなっています。
2024年10月、スズキはボランの後継となる新型「エブリイ」をパキスタンで発表し、11月から現地販売を開始しました。しかし、この新型エブリイの価格はボランの1.5倍以上と非常に高額なモデルとなっています。
この価格上昇は、現代の安全基準や環境規制への対応、そして原材料費の高騰などが要因として考えられます。ボランが40年以上変わらずに販売され続けてきた背景には、こうした価格上昇圧力に対する現地ユーザーのニーズがあったことが伺えます。
新型エブリイの登場により、ボランは段階的に生産終了となる可能性が高く、40年以上続いた長寿モデルの歴史に幕が下ろされることになりそうです。これは自動車業界における一つの時代の終わりを象徴する出来事として注目されています。
日本では新車価格の高騰が深刻な問題となっており、先進運転支援システムの標準装備や電動化、原材料費の高騰などにより、軽自動車でも200万円を超える価格帯が珍しくなくなっています。
このような状況下で、ボランの極めて安価で実直なパッケージが日本のユーザーからも高い評価を得ています。SNSでは「これでいいから日本で売ってほしい」「スズキの新興国市場モデルはグッとくるのばかり」といったコメントが多数投稿されており、シンプルで実用的な車両への潜在的需要の高さを示しています。
ただし、日本での販売には以下のような課題があります。
これらの課題を解決するには大幅な設計変更が必要となり、結果的にボランの最大の魅力である価格の安さが失われる可能性が高いのが現実です。
それでも、ボランが示した「必要最小限の機能に特化した車両」というコンセプトは、今後の自動車業界において重要な示唆を与えています。特に、過度な装備の充実による価格上昇に疲弊したユーザーにとって、シンプルで安価な選択肢の重要性を再認識させる存在として、業界関係者からも注目されています。